2002年頃、まだパナソニックだった時代に、中国の工場で生産設備を立ち上げる仕事があって。日本で設計し現地で設備を作ったのですが、なかなか完成できず・・・。このままじゃ間に合わない!という危機感もあり、急遽現地へ乗り込んで指揮をとったこともありました。 また、立ち上げ後の運用は現地で行うので、30人ほどの中国人スタッフたちに図面の読み方から一つずつ教えていきました。言葉が通じないところから始まって・・・“これは右からやってください。”ということを左からやってしまうような状態(笑)。国民性の違いに戸惑うことも多かったです。
それでも、根気よくコミュニケーションを続けていくうちに、“水嶋さんと一緒に仕事ができて楽しかった。”“また来てくれたら、仕事手伝います。”という声をもらえるようになって、嬉しかったですね。今でも連絡をとりあう現地スタッフもいます。
カタコトの中国語ですが、一生懸命話しかけるようにしていたら、工場のスタッフ以外にも、近隣の飲食店の方たちともだんだん仲良くなってきて。ちょっと食べ物をサービスしてくれるようになったり、通りですれ違うと挨拶してくれたり、それも楽しかったです。