プロジェクトストーリー

尾崎さん
技術部
福井県出身。1992年入社。ニッケル水素電池の開発を担当。中国支援では技術部門のリーダーを担う。
南野さん
製造技術部
神奈川県出身。1986年入社。製造管理・生産技術を担当。中国支援では製造部門のリーダーを担う。

Project Story

話し始めると、もう止まらない!中国への技術支援をリーダーとして引っ張ってきた2人。隣の国とはいえ、言葉も文化も全く違う中国での長期出張プロジェクトは、多くの困難と刺激と、それを笑い飛ばす2人の強さ・ユーモアに溢れていました
(取材:2023年5月)

Information
2013年、中国・湖南科覇汽車動力電池有限責任公司及び常徳力元新材料有限責任公司のニッケル水素電池生産展開に向けた技術支援を開始。それとともに、大勢の湘南CORUN ENERGYのメンバーが中国に渡ることに。
ー お二人の関係の始まりは?
(左)南野さん (右)尾崎さん
尾崎:入社した時期はだいたい同じで、しかも同い年なのですが、部署が違うからか、最初つながりはありませんでしたよね。

南野:時々、立ち話をすることはありましたけどね。もちろん10年前、一緒に中国出張のメンバーになってからは密な関係ですよ。
ー なぜ中国に出張することになったのですか?
尾崎: 中国の親会社にニッケル水素電池を製造する工場を立ち上げることになって、品質、技術の総括的なリーダーとして、立ち上げから関わることになりました。
もともと中国で仕事することも多かったのですが、本格的な長期出張はこれが初めて。現在までずっと、3ヶ月に1回日本に帰ってきて、また中国へ戻る、という生活を続けています。

南野:私は、製造のリーダーとして、ほとんど工場で働いたことがない現地のスタッフと一緒に電池の生産を始めることに。中国のスタッフ達だけでモノづくりができるように教えて、帰ってくるというのがミッションで、今もそれは続いています。

尾崎: 日本人が全然いない地域だったので、最初は驚きました。住んでいる日本人を探してまわるテレビ番組にも出たことがある、そんな街なんですよ(笑)。
湖南省 長沙市にある工場
乗り越えポイント!
中国には日本人がほとんど住んでいない地域もたくさんあるが、湘南CORUN ENERGY株式会社の社員は迷うことなく進出している。
Information
中国の現地スタッフに電池作りを教え、将来的には自走してもらうことを目標に、社員教育を進めるものの、国が違えば仕事に対する考え方にも違いが多く、苦労することも多かった。
ー お二人は中国語を話せるのですか?
現地会社での会議風景
南野:中国語は難しいですよ。10年経って聞き取れるようになってきましたけど。仕事中は通訳がサポートしてくれるので、問題ないのですが。

尾崎:私生活では個人で動いているので、出かけて買い物ができるくらいの言葉は覚えていますが、会社の会議など、難しい中国語は通訳の人に聞いて理解しています。

南野:すごい勢いで話すので、頭の変換がなかなかついていかなくて。日本人向けにゆっくりしゃべってもらえれば、ちょっとは会話できますけど、中国人同士の会話を聞き取るのは難しいです。

尾崎:本当におしゃべりが好きですよね。例えば飛行機の中。日本だととても静かですが、中国ではとても賑やかです(笑)。

南野:そういうところも最初は慣れませんでした。「話ができないと負け」みたいに感じて。
ー 現地スタッフの教育で苦労したことを教えてください。
尾崎:いかに信頼を得るか、というのが大変ですよね。

南野:「何も知らない人だ」と思われると、なかなか話を聞いてくれないので。例えば知らないことを聞かれても、「わかった。後で調べて回答するよ。」と答えるようにするとか、気をつけていました。

尾崎:常に「自分は知識と経験がある先生だ。」というスタンスで接していないと、だんだん仕事が回らなくなってくることもあります。
職場メンバーとの食事会
ー 仕事に対する考え方で、ここは違うなと感じたことは?
南野:中国人と日本人は、考え方も180度違いますよね。だから、なかなか意見があわない。歩み寄るのにとても苦労しました。

尾崎:日本人は「石橋を叩いて渡る」やり方をしますが、中国人は「とりあえずやってみる」なんですよ。その考え方も嫌いではないのですが、あまりにも考えなしに始めてしまう場合があるから、みんなが混乱してしまう。そんな時は困ります。

南野:その考え方を日本に近づけようというのが、ミッションの一つなのですが、なかなか変わるものではありませんでした。
尾崎:私は、湘南CORUN ENERGYの「品質マネジメントシステム」を中国に展開して、品質管理の仕方を湘南と同じにするために指導していました。当然、日本のやり方が最善というわけではなく、中国式にアレンジしていくのですが、それでもなかなか根付いていかない。

南野:最初は一生懸命やってくれますが、いつの間にか都合の悪いところだけルールが変わっていたり。例えば、工場設備の部品は、壊れる前に交換するように伝えているのですが、「まだもったいないから」と使い続けてしまうとか。壊れてからではなく、壊れる前に直す大切さがなかなか伝わりませんでした。
尾崎:やりやすいようにルールを変えてもいいと思いますが、理由もなしに大切な一線を平気で超えていってしまうから困ります。特に、私たちは電池という危険なものを作っているので、「安全第一」「品質第一」なんですよね。日本では、品質が完璧なものを作って、お客様にご迷惑をかけないというのが商売なんですけど、中国だと、もし問題が起こったら新しいものに交換すればいいという。しかも、お客様はそれで満足してしまうので、あまり問題になりません。

南野:考え方がとことん違うということですね。過去の経験で悪い面ばかり言ってしまいましたが、スピード感をもってチャレンジすることや、会話・議論する、統制力が強いなど良い面もあります。日本式の考え方と中国式の考え方が融合できれば素晴らしいものになる。そう願って今後も支援を続けていきますし、少しずつ近づいていると感じています。
ー 感情的になってしまうことはないのですか?
尾崎:事の大切さを伝えるために、怒ることはあります。

南野:私が怒って、尾崎さんがなだめるとか。二人同時に怒らないようにというのは、意識しています。

尾崎:同時に怒ると、中国人のみんなに逃げ道がなくなってしまいますからね。話を聞いてもらえるように、そういう配慮は大切にしています。
連携ポイント!
文化の違いが大きい日本と中国。どちらが正しいか、判断に迷うこともあるが、
「安全第一」「品質第一」を貫き通すことも必要。
Information
支援開始当初は、40名弱の湘南CORUNスタッフが中国へ。敷地内に寮を立ち上げることになる。その後10年が経つ中で、現在中国を支援しているのは数名になり、寮から個別住居の生活へと変化してきた。
ー 支援開始当初、生活面はいかがでしたか?
工場設立当初の寮建屋
尾崎:私は技術のリーダーだったのですが、もう一つ、日本人スタッフの「寮長」というミッションも与えられまして(笑)。一足先に中国に行っていたので、みんなが来る前に、日本人が生活するために最低限必要なものを、中国の人事スタッフに相談しながら揃えてもらいました。お湯が出るシャワー、洋式便器、日本のテレビが見られるインターネット環境など、色々な要望をさせていただいて、快く引き受けてくれたのはありがたかったですね。
そして、40名弱の日本人がやってきましたが、大きな不満を生む事なく、無事に立ち上げを終えることができました。

南野:尾崎さんは気が利くから、みんなが飲むビールやトイレットペーパーも、無くなる前に買い出しに行ってくれていましたよね。

尾崎:技術の仕事をしていると、あまり他人のことを考える機会がなくて。いい経験でした。みんながハッピーになるって、なんかいいなって思いました。
 
ー 中国の街の住み心地は?
南野:ここまでの話だと、中国人とつき合うのって大変だなと思われるかもしれませんが、仕事から離れれば、本当に優しい人たちなんです。街で倒れたりうずくまっている人がいたら、いっぱい人が寄ってきて、すぐに助けてくれる。日本人よりずっと優しいです。
治安も本当によくて、10年住んでいますが、犯罪を見たことがないですし。

尾崎:お店に行って何か買おうとしたら、店員さんが気さくに声をかけてくれたり。地域のみんなで生活していこうっていう気持ちを感じますよね。だから生活で困ったことはあまりないかもしれません。
ー 休日はどのように過ごしていますか?
南野:平日ずっと仕事で一緒にいるので、基本的に日本人同士は会わないです。生活のリズムも違うみたいで、行きつけのスーパーは同じはずなのに、鉢合わせたことが一度もないですね(笑)。

尾崎:会わないですよね(笑)。私は午前中に掃除・洗濯をして、お昼ぐらいから散歩にいって買い出しや外食してます。

南野:「散歩」といって10〜20kmくらい歩いている人もいますよね(笑)。私は午前中買い物にいって、午後はずっと料理をしています。だからスーパーで会わないんですね。今は料理にこだわっていて、グツグツ煮込むような、ちょっと手のかかるものに挑戦したりしています。
お2人の現地夕食会でのショット
連携ポイント!
日本人が快適に暮らせる環境には想像以上の整備が必要。人の優しさに支えられる部分も多くある。
Information
2020年、新型コロナウイルス感染症の感染拡大が始まるとともに、日本と中国の行き来や現地での生活にも多くの規制が敷かれるようになる。
ー 新型コロナが発生した時、お二人はどちらに?
コロナ隔離30日を経て、現地会社に出社
尾崎:たまたまですが、中国では春節の前で、日本人が全員帰国していたタイミングでした。本当にラッキーだったと思います。

南野:それから半年くらいは中国に行けない状態が続きましたが、流石にもうそろそろ来て欲しいということで呼ばれて、行くことに。

尾崎:当時は日本から中国に移動すると、3週間隔離されていました。こんなに長い期間、閉じ込められて仕事ができないのは精神的にきつかったです。
南野:私は、コロナにかかると日本に帰れなくなるのが嫌でした。様々な場所で隔離があって、それぞれ期間が長すぎて、1年くらい帰れませんでした。

尾崎:中国はゼロコロナ政策を取っていたので、ある地区で感染者が出ると、その地区の住民全員が毎日PCR検査を受けなくてはいけなかったのも、大変でした。毎日のようにPCR検査場に並んでいましたよね。

南野:そんな中国も、今ではすっかり落ち着いて。コロナに感染しても会社に来ますから(笑)。「熱が下がったから来ました!」みたいな感じで、もう完全に普通の風邪になっています。すごいですよね。
連携ポイント!
新型コロナが拡大している時期にも、数々の隔離や規制を乗り越えて、中国への支援が途絶えることはなかった。
Information
支援開始から10年。人も街も大きく変わっていった中国。成長の速度は明らかに日本を超えている。
ー 中国支援の中で、やり遂げたと感じられたことは?
本社25周年 記念行事に出席
南野:今は、私も製造のリーダーを降りて、ある程度現地のスタッフに任せられる体制になっているというのは、10年間の成果なのかな、と思っています。色々課題はありましたけど、注文を受けたものに対して、作れなかったということは一度もなかったですし。

尾崎:私は、色々な開発案件を担当してきたのですが、そのアイディアがお客様に認められて、商売につながったりして。中国のメンバーと一緒に開発してきてよかったなと思いますね。
今は中国の工場でしっかり利益も出ていますから、私たちのやってきたことは間違っていなかったのかな、と。
人の成長もしっかり感じられています。10年前から働いていた部下が出世して、会社の経営者になって、成長した姿を見ると、「指導してよかった」と思ったり。中国の成長意欲がある人は、本当に努力するんです。仕事が終わってからも勉強したりとか。そして、そういう人が、きちんと出世しています。
南野:出世のスピードが早いですよね。「孫の世話をしたいから」と50代で引退する人も多いですし。
そもそも、中国という国全体の進化のスピードが早いと思います。もう街には電気自動車がたくさん走っているし、バスも全部電気で動いている。日本より進んでいますよ。

尾崎:新しいことはとにかくやってみて、ついていけない人は周りがフォローする、という雰囲気がありますよね。これは、みんなが他人に優しいからできるのかもしれない。
コロナで1年離れて戻ると、街の景色が変わっている。中国という国のパワーを感じます。
ー これから目指していきたいことを教えてください。
南野:今までは、決められたものづくりをどうやって確実にやっていくかというステージだったのですが、これからは、新しい目標に向けどう展開していくかというステージ。中国だけではなく、湘南でも常に新しい目標が必要だと思います。

尾崎:湘南は、今後「開発特化」をしていこうという動きになっていますよね。そこでの新しいノウハウを中国にも展開して、中国の市場も拡大できたらいいなと。

南野:中国では、「こういう新しい電池を設計したから、製造部門で作ってください。」と言われたら、「はい」と堂々と言えるレベルになっていきたいです。「難しいから作れません」と言ってしまうのでは、まだまだなので、そこは湘南の方でもサポートしてもらえたらと思っています。
 
尾崎:今の作り方や、今の電池の形が正解なのかもまだわからないですからね。新しい考え方で、さらに品質をあげていく、そういうイノベーションが中国国内だけでできたら、素晴らしいと思います。
あとは、全世界的に「カーボンニュートラル」という動きがあるじゃないですか。その中で、電池は絶対に求められてきます。私たちが自信を持って生産しているニッケル水素電池のノウハウを、新しい市場や用途に活用していって、全世界の人に満足してもらえるようなものを作れたらと思っています。
連携ポイント!
決められたものを決められた通り作る、というステージはクリア。中国という大きな流れのある国に触れたことで、より全世界を視野に入れた新しいステージを意識。

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